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へいわ 845

学校法人NIPPON ACADEMYでは、NIPPONへいわ学院(2017年10月1日開校)を記念し、「へいわ」の名の下に、毎週水曜日の8:45から8:55までの間、へいわのためのミニセミナー、「へいわ845」を開催します。

講師:中村紀雄名誉学院長

第46回 へいわ845 平成30年6月13日(水) 平和を目指して その1

国会議事堂
国会議事堂

昭和20年という年は日本にとって正に有史以来の転換点でした。新しい価値観に立って平和を築く原点の年でした。翌21年1月1日、天皇は「人間宣言」をしました。その意味をかみ締めます。又、平和の動きとして最も重要なのは日本国憲法の制定です。難しいかも知れませんが挑戦しましょう。そして、教訓として学ばねばならぬことは、廃墟の中から復興に向けて立ち上がった国民の逞しい姿です。物は極端に不足していましたが、心には希望がありました。全国どこでも、人々を励ますように「リンゴの唄」が流れました。

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第45回 へいわ845 平成30年6月6日(水) 鈴木貫太郎、その4 「ポツダム宣言4」及び「終戦の証書」

イメージ画像、敗戦
ロンドンにあるウィンストン・チャーチル像

①日本国民の間に於ける民主主義の復活強化の障害を除去すべし。 言論、宗教、思想の自由並に基本人権の尊重は確立せらるべし。全日本国軍隊無条件降伏を宣言す。それ以外の選択は迅速かつ完全なる壊滅あるのみ。ポツダム宣言の要点です。

②「耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍んで万世のために太平を開かんと欲す」、これが天皇の真意であった。これを決めた時、天皇は涙を流したと鈴木は伝えています。

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第44回 へいわ845 平成30年5月30日(水) 鈴木貫太郎、その3

イメージ画像、敗戦
イメージ画像、敗戦

昭和20年の8月は日本の運命がかかった月でした。客観的には日本の敗戦は決定的でしたが、まだ何百万という兵士は健在で、本土決戦を覚悟する人々は少なくなかったのです。

本土決戦となれば、戦国時代のような混乱は必至です。御前会議が重ねて開かれました。議論は尽きません。ここで鈴木貫太郎は秘かに決意していたことを実行に移しました。

今日の平和は、大変な犠牲を払って、その一歩が作られたのです。平和が「たなボタ」で実現したものではないことを、今回、かみ締めたいと思います。この会議の時も、飛行機で飛び立った若者がいたのです。

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第43回 へいわ845 平成30年5月23日(水) 鈴木貫太郎、その2

イメージ画像
御前会議の様子(wikipediaより)

鈴木貫太郎は78歳で総理大臣となりました。鈴木は死を覚悟して引き受けたと言われます。その時、鈴木の胸にあったものは何か、鈴木の戦争観とは何か、死を覚悟して何をしようとしたのか。これらを語ります。鈴木は真の軍人であるだけに、平和の尊さを知っていたのです。そして平和を勝ち取る戦略を深く考えたのです。 鈴木の最大の戦いの場は御前会議でした。天皇との人間関係、帝国憲法のこと、ポツダム宣言への対応などに話は向かいます。真の軍人の使命は国民の命を守ること、それは平和を守ることであることを鈴木の歩みから学びたいと思います。

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第42回 へいわ845 平成30年5月16日(水) 鈴木貫太郎、その1

イメージ画像
鈴木貫太郎(wikipediaより)

鈴木貫太郎は、日本を救った総理大臣と言われます。その生涯の軌跡を辿ります。前橋の桃井小学校、群馬中学(現前橋高校)を経て海軍兵学校に進みました。二・二六事件の時、暴徒に撃たれました。日本を救ったのは太平洋戦争終結時の鈴木の行動でした。鈴木は軍人でしたが平和を求める人でした。78歳で首相に就任。この首相の時、広島・長崎の原爆投下、ポツダム宣言受諾、天皇の終戦放送がありました。楫取素彦との関係も重要です。

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第41回 へいわ845 平成30年5月9日(水) サイパンの戦い、その1

サイパンに残された戦車
現地にそのまま残されている戦車

サイパンは東京まで2250キロ、ここを失えば日本は負けると信じられていました。サイパンは正に日米決戦の死命を制する島でした。アメリカは空の要塞・B-29を完成させていました。その航続距離は5600キロ。4トンの爆弾を積み、1万メートルの上空を時速600キロで飛ぶことができました。アメリカは、サイパンを取れば、B-29による攻撃が可能になります。硫黄島はB-29の日本攻撃を補強するために重要でした。日本はサイパンを絶対国防圏の中心と位置付けていました。サイパン、テニアン、グアムと米軍はじわじわと迫ります。サイパンには多くの島民がいました。今回も平和の尊さをかみ締めたいと思います。

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第40回 へいわ845 平成30年5月2日(水) 硫黄島の戦い、その2

American flag

栗林中将は、地下に陣地を作り、全将兵を地下に潜って戦わせました。すべての陣地を地下に作り、それを通路で結んで行き来できるようにしたのです。敵の不意をついて奇襲攻撃する戦術は効果的であり、圧倒的に優位な相手に対する戦術として考え出されたゲリラ戦の手法でした。地下に穴を掘る作業はとても大変で、60℃にもなる地熱と、ところどころで吹き出す硫黄ガスとの戦いでした。地質の固い所は、ツルハシで1日かけて掘ってもやっと1m進む程でした。着衣はふんどし1本で、5~10分で交代するという正に地獄の中での作業でした。時々降るスコールは天の助けでした。ある将軍は次のように詠みました。
「スコールは命の水ぞ 雲を待つ 島の心を余人は知らじ」と。
このようにして命懸けで日本を守ろうとした人々の姿を、私たちは今、平和のためにしっかりと受け止めねばなりません。

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第39回 へいわ845 平成30年4月25日(水) 硫黄島の戦い、その1

硫黄島の位置

米軍がいよいよ迫ります。東京まで1,500キロ。山手線内ほどの島。アメリカは一週間で占領できると考えました。それを阻止する栗林中将の作戦は成功したのです。地下のゲリラ作戦です。ゲリラ戦とはどんな戦いだったのでしょうか。栗林中将の人間像はどんなものだったのでしょうか。この島が占領されればアメリカは日本のどこの大都市も攻撃できるのです。栗林はアメリカを最も苦しめた名将だったのです。この島には一本の川もない。湧き水も一切ない。水の一滴は血の一滴でした。「アメリカの若者をこれ以上死なせるな」の世論が沸騰しました。そこでアメリカが選んだ手段とはなんだったのでしょう。

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第38回 へいわ845 平成30年4月18日(水) パプアニューギニア地獄の戦場、その3

beautiful ocean after the war
パプアニューギニアの海

今回はニューギニアの最終回として、平成13年に私が訪問した時の写真を使って南海の果てに散った日本人の犠牲と平和の意味を探ります。歴史は繰り返されます。多くの犠牲を平和のために生かす時なのです。石器時代に近い状態の社会と差別なしに付き合うことが平和の基礎になるべきです。何千人の死者を出した「サラワケット越え」と文房具を届けた小学校にも触れます。南の島々が温暖化の危機に晒されています。日本の力を役立てる時でもあります。

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第37回 へいわ845 平成30年4月4日(水) パプアニューギニア地獄の戦場、その2

山本バンカー
山本バンカー

ラバウルは日本にとってもアメリカにとっても非常に重要でした。だから日本はここを守るために死力を尽くしました。戦線を視察するためここを飛び立った山本五十六長官は待ち構えた米軍機によって撃ち落されました。暗号が全て読まれていたのです。アメリカは大戦中の最大の戦果の一つと喜びました。山本五十六、井上成美、米内光政の海軍トリオは開戦に反対し、三国同盟に強く反対したことにも触れます。 なぜ戦争を回避できなかったかを地獄の戦場を踏まえて振り返ります。

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第36回 へいわ845 平成30年3月28日(水) パプアニューギニア地獄の戦場、その1

戦車
日本軍が使用した戦車

平成13年(2001年)に、私はパプアニューギニアを慰霊巡礼で訪ねました。地の果ての美しい海とジャングルはかつての地獄の戦場でした。ニューギニアは、アメリカとオーストラリアの連携を断って日本を守る砦でした。ラバウルにはゼロ戦の残骸が横たわり、無数の日本人を飲みこんだダンピール海峡は青く黒くうねっていました。出発は10月21日。その直前9月11日にはニューヨークであの同時多発テロが起きていました。戦争の歴史は繰り返されるのです。その意味で、今、「地獄の戦場」をふり返る意義は大きいと思います。

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第35回 へいわ845 平成30年3月21日(水・祝) 沖縄戦 その3

a girl with a white flag
白旗の少女

今回は、白旗の少女のその後、対島丸の悲劇、戦艦大和、カミカゼ特攻隊などを取り上げます。これらは沖縄戦の断片ですが、現代の私たちに何を語りかけているかを問うことは極めて重要です。悲劇の断片は一つ一つが平和の礎なのです。これらが今、忘却の彼方に去ろうとしています。歴史は繰り返されます。沖縄の人々の死を無駄にしないためには、その忘却を食い止めねばなりません。戦争の足音が近づく今こそ、その時なのです。私たちの心に不毛の砂漠が広がりつつある危機を感じます。今回は、当時の世界の状況を示す一コマも取り上げます。

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第34回 へいわ845 平成30年3月14日(水) 沖縄戦 その2

平和祈念公園
沖縄の平和祈念公園

一般住民を巻き込んだ戦争がいかに過酷で悲惨であるかを如実に示すのが沖縄戦でした。それは、もし本土決戦になったらこうなるだろうということを語っていました。「生きて虜囚(りょしゅう)となるのは恥」、「米兵は鬼畜」と教え込まれた多くの人々は自決の道を選びました。昭和20年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸、6月18日ひめゆり部隊集団戦死、6月23日、日本兵全滅と進みました。今回は沖縄住民の実態に焦点をあてます。

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第33回 へいわ845 平成30年3月7日(水) 沖縄戦 その1、ひめゆり部隊

ひめゆり
沖縄県糸満市にあるひめゆりの塔

看護要員として動員され戦死した少女たち。記念館を訪れる現代の高校生たちが泣く姿を見て私も泣きました。唯一つ、住民を巻き込んだ戦争の悲惨さを象徴的に現わすのがひめゆり部隊です。ひめゆりのような純真な少女たちは「生きたい、生きたい」と心に叫びつつ死にました。「それが戦争というものだ」では片づけられないものがあります。ひめゆり部隊の最期を通じて、沖縄戦の理解に近づこうと思います。沖縄戦を何回か取り上げます。本土防衛の砦であり、そのための捨て石とされた沖縄。沖縄戦を知らずして太平洋戦争の実態を知ることはできません。

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第32回 へいわ845 平成30年2月28日(水) 近代オリンピック その6、パラリンピック

レーサー
車椅子による陸上競技

パラリンピックは、パラレル(もう一つ)のパラとオリンピックの合成語。もうひとつのオリンピックの意で、障害者のオリンピックである。腕や足を失った人、視力を失った人などが胸を張って生き生きと躍動する姿は胸を打つ。この姿によって勇気づけられる人々は多く、障害者たちだけではない。そしてわたしたちは、障害者に対して抱く差別と偏見がいかに誤りであるかに気づかされる。彼らが限界に挑戦する素晴らしい姿を謙虚な気持ちで紹介いたします。

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第31回 へいわ845 平成30年2月21日(水) 近代オリンピック その5、北京五輪(平成20年)

中国の天安門広場
毛沢東を揚げる天安門

2008年8月8日午後8時。史上最多・204の国と地域。日本の旗手は福原愛。会場は10万人を収容する「鳥の巣」。スローガンは「ひとつの世界、ひとつの夢」。近代的世界都市建設、世界へ中国の威信を示す。そのために中国社会の団結と安定を実現する。築かれるものと失われるものは何か。少数民族の問題、発展と格差、共産党の一党独裁、これらを乗り越えて中国は一つだ。そのためには団結と安定が第一で、それを実現し世界に示すことが北京五輪の目的。

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第30回 へいわ845 平成30年2月14日(水) 近代オリンピック その4、東京五輪(昭和39年)

近代オリンピック4
五輪、陸上競技イメージ

東京五輪は昭和39年(1964)で、敗戦から立ち上がった日本が、目ざましい躍進の姿を世界に示す結果になった。新幹線、カラーテレビも登場。日本中が火の玉のようになった。しかし、「より大切なのは、真の感動・人間的感動だ」という声があった。マラソンの円谷幸吉、東洋の魔女の女子バレー、柔道はヘーシンクに敗北したことなどが衝撃だった。 オリンピックは今、曲がり角に。次の東京五輪が近づいた。前回の東京五輪から学ぶものは何か。三波春夫の五輪音頭が甦る。

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第29回 へいわ845 平成30年2月7日(水) 近代オリンピック その3

近代オリンピック3
モハメド・アリ(1960年オリンピック・ローマ大会、ライトヘビー級にて金メダル)

へいわの祭典オリンピックで心を打つのは一人一人の選手の限界に挑戦する姿です。しかしその背景には人種・肌の色・宗教・文化の違いがあり、それらを乗り越えて一つになることに平和を支える意味があります。そういう視点から今回はモハメド・アリ、アベベ、ベン・ジョンソン、ジェシー・オーエンス、キャシー・フリーマンなどを取り上げます。短い時間ですが人種差別の現実と歴史についても語ります。私たちの心に平和の砦を築こうと思います。

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第28回 へいわ845 平成30年1月31日(水) 近代オリンピック その2

バルセロナオリンピック
デラルツ・ツル(左)と、エレナ・マイヤー(右)
スペイン、バルセロナ大会(1992年)

オリンピックは平和の祭です。それを支えるのは友情、連帯、フェアプレーの精神です。今回は2つの例を紹介します。一つはバルセロナ大会。女子1000mで優勝したエチオピアのデラルツ・ツルは2位のエレナ・マイヤーを待ち、手を取り合ってウィニングランをしました。マイヤーは南アフリカ共和国です。 二つ目はアテネ大会のバンデルレイ・デ・リマです。男子マラソンでトップだった彼は36キロ付近で暴漢におそわれましたが完走し、銅を得ました。

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第27回 へいわ845 平成30年1月24日(水) 近代オリンピック その1

近代オリンピックイメージ

近代オリンピックはクーベルタンの提唱によりアテネでスタートしました。スポーツを通して友情をつちかい世界平和を目指すことがオリンピックの目的ですが、政治への利用、勝つことに重点を置き過ぎた弊害など、いろいろな問題点を抱えています。 オリンピックをふり返ることにより、人類が直面する様々な問題が浮き上がります。 黒い稲妻のように走る黒人選手の躍と、それに全世界が拍手喝采する姿は、オリンピックとは何かを雄弁に物語っています。世界が大きく混乱し人類の危機も叫ばれる今こそ、オリンピックの歴史を見つめる時です。

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第26回 へいわ845 平成30年1月17日(水) 日本人政治家として初めて強制収容所を訪ねた高良とみ

へいわ845第25回
高良とみ(1896年―1993年)

高良とみは戦後初の参議院議員。そして国法を犯してシベリアに渡り、強制収容所を視察した。しかし、そこで見たものは「つくられた」状況だった。日本人は彼女のバッグに貼られた日の丸を見て涙した。祖父は群馬の蚕聖と言われた田島弥平。母は前橋女子高の卒業生である。とみが会った人々は長期の戦犯で、日本との文通は禁止されていたが、とみの尽力により家族との葉書の交信や雑誌の送付が可能となった。人々は雑誌を通して知る祖国の変化に驚いた。これらの人々の帰国は昭和31年の国交回復の時。とみの訪問は昭和27年であった。

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第25回 へいわ845 平成30年1月10日(水) シベリア強制抑留 その3、スターリン大元帥への感謝状

へいわ845第25回
スターリン(1878年―1953年)

私は「スターリン大元帥への感謝状」のコピーをハバロフスクの国立古文書館で入手した。許可されるのに面倒な手続きがあった。よくもここまでゴマをすったと唖然とする。スターリンを「人類最大の天才、全世界勤労者の導きの星」と誉め上げ、自分たち日本国民のことを「日本の勤労者はあまりにも長い間資本家どもの盲目の奴隷となってきました」と表現し、日本の資本家階級を「強盗的帝国主義者、極悪非道の極東の憲兵」と非難する。正に自虐的文章の典型というべきもの。この長文の文章に日本人は長い列を作って争って署名した。これは何を意味するのか考えたい。

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第24回 へいわ845 平成29年12月20日(水) シベリア強制抑留 その2

へいわ845第24回シベリア強制抑留
引揚船をむかえる舞鶴の女性たち

故郷を思う心は狂おしい程だった。耐えられない人々は歌をうたった。「異国の丘」はシベリア中に響いた。共産主義教育の効果が上がった者が帰国できると信じられた。その中で仲間をつるし上げる運動が「民主運動」の名で進められた。やがて帰れる日が近づく。人々はソ連が見えなくなる迄不安だった。日本の島々が見えた時の喜びは筆舌に尽くし難いものだった。我が子を待つ老母、夫を待つ妻。舞鶴の岸壁は涙にむせび抱き合う人々であふれた。幸いにして帰国出来た人々の胸には黒パンを分け合った姿、凍死して埋められた仲間たちのことが深く突き刺さっていた。

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第23回 へいわ845 平成29年12月13日(水) シベリア強制抑留 その1

へいわ845第23回シベリア強制抑留
強制収容所の室内を再現したジオラマ
(平和祈念展示資料館)

終戦の年に約60万人の日本人がシベリアに抑留され、そのうち約6万人が飢えと寒さと過酷な労働で死んだ。生還できた人もみなこの世を去りつつある。狂おしい程の望郷の思いを知らねば平和の尊さは分からない。戦争の過酷さも分からない。抑留の開始は昭和20年の秋。最後の帰国者は昭和31年の年末だった。

私が日本人として初めて入手した「スターリン大元師への感謝状」は日本人の悲しい心を雄弁に語る。

初めて強制収容所を訪ねた女性国会議員である高良(こうら)とみとは? 続く

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第22回 へいわ845 平成29年12月6日(水) ヒロシマ ― その2

へいわ845第22回ヒロシマ
トルーマン大統領
任期:1945年4月12日―1953年1月20日

広島はリトルボーイ、長崎はファットマン。投下目標は最後まで京都にこだわったが、7月末、広島、小倉、長崎、新潟に。ソ連の参戦前に投下したかった。ルーズベルトは4月に死ぬ。

  • 非核3原則とは。
  • 非核自治体宣言。
  • 日本は全自治体の4分の3。世界的にはマンチェスターが最初。

世界の核保有国は、①アメリカ②ロシア③中国④フランス⑤イギリス ⑥イスラエル⑦インド⑧パキスタン。  (北朝鮮)。

  • ラッセル・アインシュタイン宣言。

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第21回 へいわ845 平成29年11月29日(水) ヒロシマ ― その1

へいわ845第21回ヒロシマ
ヒロシマ(1945年)

現在、人類の平和を脅かす最大の脅威は「核」である。日本は人類初の核被爆国。日本国民として、また人類の一員として「核」の知識を持つ必要がある。

原爆はなぜ誕生したか。

原爆の原理は何か。

なぜ日本に落とされたのか。

核が世界に広がりつつある。知識がなければ反対することも賛成することもできない。核は私たち一人一人の問題である。先ず1945年8月6日に広島市に落とされた事実から始めよう。今、「核」は新たなる問題となっている。

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第20回 へいわ845 平成29年11月22日(水) 杉原千畝 ( すぎはらちうね ) その2

へいわ845第20回千畝の切手
リトアニアの切手(2004年発行)

杉原千畝は終戦を迎えソ連の捕虜となりシベリア鉄道で日本に帰り、外務省をやめる。長い年月が経ち、ある日、イスラエル大使館から連絡がある。待っていた人はニシュリ。千畝のビザで助かった人だった。あの時のユダヤ人は千畝を探していた。ニシュリの手にはあの時のビザが。千畝はイスラエルから「諸国民の正義の人賞」を贈られる。

その翌年、杉原千畝は86歳でこの世を去る。人権尊重を貫き人類の平和に貢献した偉大な人生であった。

リトアニア
リトアニアの位置

第19回 へいわ845 平成29年11月15日(水) 杉原千畝 ( すぎはらちうね ) その1

へいわ845第19回
杉原千畝(1900年1月1日―1986年7月31日)
日本の外交官

杉原千畝は6,000人のユダヤ人にビザを発給した人物。時は第二次世界大戦中で、ヒトラーはユダヤ人絶滅政策を進めていた。この政策から逃げようとするユダヤ人は必死でビザを求めた。日本はヒトラーのドイツと三国同盟を結んでいたため、ドイツのユダヤ人政策に反対できない。

杉原は本省の許可がないまま独断でビザを書いた。

彼を衝き動かしたものは人道主義、そして武士道の精神であった。今日本人に求められるものは、これである。

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第16回 へいわ845 平成29年10月25日(水) マーティン・ルーサー・キング・ジュニア その2

へいわ845第16回
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1963年撮影)

講義の目次

  1. アトランタは「風と共に去りぬ」の町と呼ばれたが、今では「非暴力の町」、「キング牧師の町」と呼ばれている
  2. ケネディの救いの手、KKK(クー・クラックス・クラン)、パークス婦人の逮捕について
  3. 最高裁判決、非暴力の勝利、非暴力の考え方、について
  4. 「私には夢がある」、キング牧師の演説、ケネディ大統領暗殺について
  5. ノーベル平和賞受賞について
  6. キング牧師の暗殺について

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第15回 へいわ845 平成29年10月18日(水) マーティン・ルーサー・キング・ジュニア その1

へいわ845第15回
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
(1929年1月15日 - 1968年4月4日)
アメリカ合衆国のプロテスタントバプテスト派の牧師

黒人を動物のように扱う奴隷制度が廃止された後も、黒人への差別は続きました。黒人も人間である以上、白人と平等でなくてはならない筈です。理屈はそうであっても、理想は待っているだけでは実現しません。その黒人の平等を求めて闘ったのが、マーティン・ルーサー・キング Jr.でした。彼が読んだ本の中で一番心を揺り動かされたのはマハトマ・ガンディーの非暴力の教えでした。キングはインドで成功したことは、アメリカでも成功すると信じました。やがて、彼は黒人の正義を求める運動の指導者になります。

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第14回 へいわ845 平成29年10月11日(水) マハトマ・ガンディー その2

へいわ845第14回
インドの紙幣にはすべてガンディーの肖像が印刷されている

マハトマとは「偉大なるたましい」という意味。非暴力・不服従でインドを独立させた。ガンジーにならった政治の指導者には、キング牧師、ダライ・ラマなどが居る。アインシュタインも大きな影響を受け、また手塚治虫はイギリスに立ち向かうインドとガンジーにヒントを得て「鉄腕アトム」を書いた。ガンジーは「すべての日本人へ」という手紙を書き、日本の軍事主義を批判した。78歳の時に暗殺された。

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第13回 へいわ845 平成29年10月4日(水) マハトマ・ガンディー その1

へいわ845第13回
糸車を廻すマハトマ・ガンディー
(1869年10月2日―1948年1月30日)

インド独立の父。1869年10月2日生まれ。毎年10月2日は「ガンディー記念日」、また国連はこの日を「国際非暴力デー」とした。インドはイギリスの植民地だった。ガンディーは独立運動の指導者。民衆暴動でなく「非暴力不服従」を提唱。イギリス製の綿製品を使わず、インドの伝統的手法による綿製品を積極的に使用した。彼の不服従運動は、世界中から注目された。イギリスの塩税に抗議して行った「塩の行進」は、その不服従運動の一つである。最後にガンディーが残した個人資産は竹の杖、糸車、携帯用便器、一匹のヤギ。

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第12回 へいわ845 平成29年9月27日(水) アンリ・デュナン その2

へいわ845第12回
トマ・ジュアネ演じるジャン・アンリ・デュナン
(映画、「アンリ・デュナン物語 国際赤十字誕生」(2006)より)

デュナンが創立した赤十字についてのサマリー

  • 世界赤十字デーは、デュナンの誕生日である5月8日
  • 日本赤十字社の前身は西南戦争の1877年に設立された博愛社
  • 1886年、日本がジュネーブ条約調印。その翌年、博愛社は日本赤十字社となる
  • 1888年磐梯山大爆発に際し、戦争だけでなく、初めて自然災害で赤十字社が活躍
  • 日清戦争時、日本赤十字社は初めて国際紛争の医療救護班を戦地に送り出した

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第11回 へいわ845 平成29年9月20日(水) アンリ・デュナン その1

へいわ845第11回
ジャン・アンリ・デュナン
(Jean Henri Dunant, 1828年5月8日 - 1910年10月30日)
スイスの実業家、赤十字の創設者

デュナンはスイスの名の知れた旧家の長男として生まれた。名門校に入学したが、成績が悪く退学。YMCA(キリスト教青年会)で活躍。デュナンはYMCAを世界的組織にすることを提唱。デュナンによりパリで「YMCA世界同盟」が結成された。「人類みな兄弟」と答えたことで有名。

1901年、第一回ノーベル平和賞を受賞。賞金は赤十字社に寄付。彼の誕生日である5月8日は国際赤十字デー。赤十字の父と呼ばれる。赤十字の活動は捕虜への人道的救援、災害被災者への救援と拡大していく。

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第10回 へいわ845 平成29年9月13日(水) ナイチンゲール その2

フローレンス・ナイチンゲール
クリミア戦争中、スクタリ(トルコ)の病院で看病をするフローレンス・ナイチンゲール

「白衣の天使」、「ランプの天使」と言われたナイチンゲールの姿は、「平和の天使」でもありました。傷ついた兵士は彼女の姿を見て、戦争の愚かさと平和の尊さを知り、その気運は世界中に広がりました。彼女の活躍は「万国赤十字社」創立の気運を作りました。

①敵味方の区別なく看病しよう。 ②看病の仕事をする人には絶対に害を加えない。 ③病院の印として白地に赤い十字の旗を揚げる。  これがジュネーブ条約の骨子となっています。

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第9回 へいわ845 平成29年9月6日(水) ナイチンゲール その1

へいわ講義用画像
フローレンス・ナイチンゲール(享年90)
近代看護教育の母。
1820年5月12日(江戸・文政時代)生。
  • 1910年(明治43年、韓国併合の年)、90歳で逝去。
  • クリミア戦争で負傷兵に献身的に尽くす。
  • ナイチンゲールの誕生日である5月12日は、国際看護師の日。
  • ロンドンにはナイチンゲール看護学校がある。これは世界初の宗教系でない看護学校である。
  • 当時看護師は病院で病人の世話をする単なる召使いと見られ、専門知識の必要がない職業と考えられていた。また、「白衣の天使」と呼ばれた。
  • ナイチンゲールは、「天使とは苦しむ者のために戦うものである」と言った。

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第8回 へいわ845 平成29年8月30日(水) マザー・テレサ その2

へいわ講義用画像
マザー・テレサ(享年87)

マザー・テレサは日本の講演会で話しました。

「この豊かな国で大きな心のまずしさを見ました。人間にとって本当のまずしさとは、社会から見捨てられて自分はだれからも必要とされないと思うことです。」

マザー・テレサは、身寄りのない「死を待つ人々」に温かい手を差しのべました。

マザー・テレサはハンセン病の人たちのために「平和の村」をつくって救いの手を差しのべました。

また、捨てられた孤児のために寄付をあつめ、愛の住処を作り迎え入れました。

インド、カルカッタの様子、参考資料

カルカッタの様子
カルカッタの様子
カルカッタの様子
カルカッタの様子

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第7回 へいわ845 平成29年8月23日(水) マザー・テレサ その1

へいわ講義用画像
マザー・テレサ(享年87)
カトリック教会の修道女
「神の愛の宣教者会」の創立者

講義目次

  1. 死を待つ人の家、孤児の家、平和の村
  2. 「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」
  3. ケアする相手の状態や宗派を問わない。尊敬する教派はカトリック。ノーベル平和賞の19万2000ドルはすべてカルカッタの貧しい人々のために使われた。
  4. 「死を待つ人の家」入口に堂々と Dying と書かれた看板

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第6回 へいわ845 平成29年8月16日(水) ワンガリ・マータイその2

へいわ講義用画像
ワンガリ・マータイ(享年71)
ケニア出身の環境保護活動家
政治家
ケニア共和国の位置

①グリーンベルト運動(GBM)

②ケニアは砂漠化の脅威に

③ケニアの女性中心に3000万本の樹を植えた

その結果、植えた樹木から採れた果実を売って収入にする女性が出てきて、女性の働き方の選択肢が広がることとなった。

④草の根運動の意義

国単位のプロジェクト等、大きなことではなくて、自分の身近な足元から少しづつ行動していくこと。それが実を結ぶことを証明した。

⑤木はCO2を吸収する

⑥無駄な消費が環境を壊す

ものを大切にする心が平和に繋がる

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第5回 へいわ845 平成29年8月9日(水)

へいわ講義用画像
ワンガリ・マータイ(1940―2011)
ケニア出身の環境保護活動家、政治家

人種、女性、環境は世界の平和を考える上で不可欠です。

マータイは、アフリカ・ケニア生まれです。

「環境、民主主義、平和への貢献」でノーベル平和賞を得ました。アフリカ人女性として史上初です。

来日して「もったいない」という言葉を知り感銘して、国連の女性委員会で全出席者と「もったいない」を唱和し、「MOTTAINAI」のキャンペーンを展開しました。国連平和大使に任命されました。著書に「モッタイナイで地球は緑になる」があります。

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第4回 へいわ845 平成29年8月2日(水)

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ネルソン・マンデラ(1918―2013)
南アフリカ共和国元大統領、弁護士
南アフリカ共和国の位置

南アフリカは激しい人種差別の国でした。この人種差別をアパルトヘイトといいます。マンデラはこれに反対し、27年間投獄されたのです。獄中でも勉強を続け法学士号を取得しました。

釈放後、長くアパルトヘイト撤廃に尽くしたことでノーベル平和賞を得ました。授賞理由は、アパルトヘイト体制を平和的に終結させて新しい民主的な南アフリカの礎を築いたことです。

南アフリカ初の全人種参加選挙により大統領に就任。民族和解・協調政策をすすめました。

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第3回 へいわ845 平成29年7月26日(水)

へいわ講義用画像
マララ・ユスフザイ(20)
パキスタン出身、人権運動家

世界の平和は命懸けの人間の努力によって支えられています。平和を空気のように当たり前と受け止める私たちは、これらの人々の努力から真剣に学ばねばなりません。

このシリーズではノーベル平和賞を得たマララ・ユスフザイ、ワンガリ・マータイ、ネルソン・マンディラ等を取り上げます。

今日は、イスラム教徒の少女マララです。彼女の命懸けの生き方から、平和の尊さ、平和を守るにはどうしたらよいのかを学びたいと思います。

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第2回 へいわ845 平成29年7月19日(水)

へいわ講義用画像
ニューヨークにある国際連合本部

なぜ戦争は起こるのでしょうか。歴史を振り返れば、それは自国の利益を第一に考え、他国をかえりみない間違ったナショナリズムでした。世界が理想的な一つの国になれない以上、各国が話し合い、協調するルールをつくらねばなりません。

第一次世界大戦の反省から作られたものが国際連盟でした。国際連盟は失敗し、第二次世界大戦後国際連合ができ、現在に至っています。この国際連合の目的は、世界平和の維持です。

へいわ845の様子
朝の朝礼風景、講義中

第1回 へいわ845 平成29年7月12日(水)

折り鶴イメージ

平和とは戦争がなく世の中が平穏であることである。人類の歴史は戦争の明け暮れだった。現在も世界各地で戦争が起き、その中で平和が求められている。現代日本の原点は70年前の敗戦であり、そこから生まれた日本国憲法である。

日本国憲法は次の3つの基本原理を掲げる。

  1. 国民主権
  2. 基本的人権の尊重
  3. 平和主義

憲法前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。

講義中の中村先生

講義を進める中村紀雄名誉学院長

掲載責任:中村紀雄事務所

中村紀雄名誉学院長プロフィール:
東京大学卒業。
日本ペンクラブ会員。