• 生と死のフォーラム
  • 月例NA市民公開講座

    定例会場:群馬ロイヤルホテルのロゴ(入場無料)

    共催:NIPPON ACADEMY・七施精舎

    企画・運営:七施精舎・青山ハルナ事務所・七施舎

いかに生きるかを考え、やがて来たる死を学び、今をより豊かに生きるために

僧侶浅川煕信氏 市民講座「生と死のフォーラム」は2001年8月に始まりました。この講座は、さまざまな角度から、生きること、そして死ぬことについて思索をめぐらし、考える、学びの場として誕生しました。これまでのテーマは多岐にわたっています。ですが、どれをとっても、生きることの本質とは何かを基本にしています。今の社会に最も必要とされているのは、人間としての心の豊かさであり、生き方の豊かさだと思います。私たちはそろそろ、ものやお金に対する個人の過度な執着を捨てて、人は人の幸せのために生きる道、方法論を身につける時にきています。年齢や立場に関係なく、私たちは自分の中に、世のため人のために生きる部分が必要だと思います。それが豊かさなのです。「生と死のフォーラム」では信条や宗教、宗派を超えて、自立した個人の立場で話し、聴き、考えます。思考の自由な創造の場へ、あなたもどうぞお出かけください。

七施精舎主宰・僧侶 浅川煕信氏

生と死のフォーラムによせて..

愛と平和の教会の象徴

留学生と日本語の都「まえばし」を目指す学校法人 NIPPON ACADEMY は、理念である「平和・環境・共生」の実現に向けて努力する上で、人間として根幹的な死生観を、論じ学ぶ場(NA市民公開講座)の提供を通じて、少しでも、市民に貢献したいと願っています。

NIPPON ACADEMY 理事長 清水澄 (群馬ロイヤルホテル 代表)

次回テーマ案内の矢印次回のテーマ

第200回

記念

原点は、自分で考えること

平成30年
5月9日(水)
午前10時30分

第200回生と死のフォーラム
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

18年前のことになりますが、葬送と墓をテーマにしたシンポジウムを主催したことがあります。タイトルは「弔うということ 墓というもの」でした。当時とすれば斬新な内容で、パネラーもその道の泰斗ばかりです。時間は3時間余。会場は多くの聴衆で埋まりました。最後に受けたいくつかの質問の中でこういうものがありました。「何が良い葬式で、何が良い墓なのか、ひと言で言ってくれませんか」。これに対する答えはないのです。それを自分で考えるために開いたシンポジウムだからです。現代の世相がこれに象徴されていると思います。本質は何か、それをつかんで生きることを忘れてはなりません。自分の頭で考え、自らの意思で行動する、そのためにさまざまな学びの場があります。生きることと考えること、学ぶことは一体であり、一生続きます。そして単に継続することと成長は同じではないことも忘れてはならないのです。

※講師は変更になることもあります。

第199回

我流 平和に向けて諸々

平成30年
4月4日(水)
午前10時30分

第199回生と死のフォーラム
現在展開中の事業についても語る清水澄氏
講師:学校法人NIPPON ACADEMY 理事長 清水澄氏

今、情報化社会の最終章が明らかになりつつあります。そういう中で確かなことは「学ぶ」ことの「大切」さです。重要なのは反対の立場に学ぶことであり、私たちは異教である神父・牧師・イマーム(イスラム)等の聖職者を友人として迎えることです。とりわけ、イスラム(平和を意味)とは平和そのものであり、たとえ宗教上の理由で交わりを避けることがあっても、相互理解はきわめて必要であり、過去を反省するならば、それが日本の責務(唯一の資格者)であると思えてなりません。 大切なのは表現力と理解力です。なぜ金さんは身勝手なことを言うのだろうか?なぜトランプさんは金さんを激しく批判するのだろうか?確かなことは、どんなに相手を批判しようが、批判をすればする程に自らの表現力と理解力の欠落が故の問題が露呈するということです。天に唾する「今」を変えてゆかなければならないと考えます。 情報化社会の結末として、価値観そのものが問われる時代となります。間違えれば人類は動植物を道づれに破滅するわけですから、どんなに困難であろうとも、平和を続けられる価値観を築いてゆかなければなりません。そこで大切なのは、明日を担い明日に責任を負ってゆく若者と、過去と現在に責任を持つ老年者の「学び」です。夢に終わらせるのでなく、実現のための方策が必要なのです。

※講師は変更になることもあります。

第198回

今の時代をどう生き、
次世代に引き渡すのか

平成30年
3月7日(水)
午前10時30分

榛名まちづくりネット代表、芹澤優様
芹澤優氏
講師:榛名まちづくりネット代表・高崎市中室田町会長 芹澤 優氏

私は戦後生まれの団塊の世代。地域には子供がいっぱいいて、食べるために闇雲に生き抜いた。しかし生業がほとんど同じであったから、助けられたり助けたりと「ゆい」の精神で、協働して地域を支え合った。着る物は祖母や母親が作り、食べる物も家族みんなで手作りし、分かち合って食べ、家も大工さんと一緒に作った。いわゆる自給自足である。自立した暮らしが当たり前の社会だった。 しかし、早期の戦後復興策として、洗脳されながらのアメリカナイズで火がついて、「三種の神器」(洗濯機・テレビ・冷蔵庫)を買うために汗だくになって働いてきて、現在がある。急激に経済成長したために日本人が古来より創ってきた大切なもの、人としての倫理や社会構造の良い部分、システム、文化、産業などを捨ててきて70余年、今、後ろを見たら誰もいなかった? 切り捨ててきたことがたくさんあるのです。これで良かったのですか? 私たちは今、いろいろな問題を抱えています。これで、日本は世界の先進国なのでしょうか? みんなで考えてみましょう。

※講師は変更になることもあります。

第197回

脱「惰性良寛」

良寛さんを生きよう

平成30年
2月6日(火)
午前10時30分

第197回生と死のフォーラムお茶会
終了後のお茶会(群馬ロイヤルホテルにて)
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

実は、良寛さんの一生の詳細はよく分かっていません。たくさんあるエピソードも傍証などによる推測の部分が多く、それが独り歩きしていると言わなければなりません。このことは良寛さんを考えてゆくときに重要です。 「良寛ブーム」というものがあるとすれば、その中身をしっかりと検証してゆく必要があるでしょう。ひとつは、良寛さんが商品化されているという指摘です。 良寛さんの生き方が尊ばれるのは大変に喜ばしいことです。しかし、それは額に入れて飾っておくようなものではなく、手本にして生きる、それが大切なのだと思います。その本質は「少欲知足」の生き方です。私たちが少しでも良寛さんのように生きようとすることで社会が変わるならば、良寛さんは現代に甦るに違いありません。 良寛さんは実は反逆の人です。現代社会は良寛さんが生きた時代、江戸末期とよく似ています。もし、それを見ないで、良寛さんを唱えているだけでは、現代社会の問題はそのままでしょう。

※講師は変更になることもあります。

第196回

今を生きるか 死後の行先か

~包括的な福音について~

平成30年
1月19日(金)
午前10時30分

第196回生と死のフォーラム
ジェームス・ピーターソン氏
講師:日本聖契キリスト教団宣教師 ジェームス・ピーターソン氏

死後のことを心配するのは文化、時代や信仰を超える普遍的なテーマです。キリスト教も時代や状況によっては、死後のことに焦点を合わせることもありました。「どうすれば天国に行けるのか」「何をすると地獄行きになってしまうのか」と言った問いにやたら注目することもあったのです。イエス・キリストの十字架も、多くの神学的解説により人間の罪の赦しをもたらす側面が強調され、その目的は「人間を地獄から救い、死んだ後に天国に行けるためである」と、多くは理解されてきました。

しかし近年は、その理解がいくらか変わってきています。日本では3.11の災害も大きな要素となっていますが、多くの教会や教団において、キリスト教の中心的なメッセージである「福音」そのものを再検討することに至っています。教会が人々に伝え、また社会において実行していくべきことは何であるのか。「罪の赦し」と「死後の行き先」を語るべきなのか、それとも「福音」の理解を拡大し、今、生きるこの世のことにも考慮すべきなのか。これは「包括的福音」と言われ、多くの教会で徐々に受け入れられています。キリスト教の姿を大きく変えている出来事について考えてみたいと思います。

※講師は変更になることもあります。

第195回

善因善果、悪因悪果

終わりが良ければすべてが良いわけではない

平成29年
12月4日(月)
午前10時30分

第195回生と死のフォーラム
参加者全員で合掌
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

よく言われる「終わり良ければすべて良し」は「結果がすべて」と相通じています。前向きのように聞こえますが、その中身は、過程はどうなのか、立ち止まって考えてみる必要があるでしょう。 今の時代は、戦後の高度経済成長下に有頂天になった社会が真実の姿を現しているのではないでしょうか。物質主義、商業主義は、物事の本質をすり替えてしまうのです。それが肥大化されてゆく中で、自分の頭で考えることをしなくなり、お任せする体質が定着してゆく、これが理論的な柱になったのです。

「仏の教え」では、因果応報を説いています。「結果がすべてで、終わりがよければ、それで良い」とは考えません。私たちは謙虚にこの一年を顧みて、その中身と過程を検証することが重要です。結果が良いとしても問題の多い一年だったかもしれませんし、納得のゆかない結果であったとしても、中身によっては次につながる可能性は大きいのです。

※講師は変更になることもあります。

第194回

ご先祖さまと共に生きる

平成29年
11月6日(月)
午前10時30分

第194回生と死のフォーラム
鈴(りん)の鳴らし方を教える浅川講師
講師:藤岡市 光明寺住職 佐光慈覚氏

「人間は二度死ぬ」という言葉がありますが、私たちは昔からご先祖さまと共に日常生活を送っております。
皆さまは毎日、お仏壇に仏飯をお供えし、ご先祖さまに手を合わせておられると思いますが、ほとんどの方がこの作法の意味を知らないまま行なっているのではないかと思います。そこで、合掌の意味、鈴(りん)の鳴らし方や回数、お線香をお供えする本数、数珠(念珠)を擦る意味、お経や真言をお唱えする回数などについて、実演を交えながら、仏事全般にわたるお話をしてみたいと思います。
また、現在、霊場巡りをされている方、計画をされている方もおられると思いますので、お参りの仕方や必要最小限の持ち物など、正しい霊場(札所)巡りについて、解説をいたします。なお、百八珠の数珠をお持ちの方は当日、ご持参ください。

※講師は変更になることもあります。

第193回

身不浄観 食不浄観

誰にでも今からでもできる修行

平成29年
10月2日(月)
午前10時30分

第193回生と死のフォーラム
講義中の浅川氏、フォーラムの様子
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

不浄観とは「観法」の修行形態のひとつです。修行と言うと滝行や山駆け、座禅、行脚、断食などの身体的なものを連想するかもしれません。ですが内面的な「観法修行」も重要です。それは「どんなに立派な人や絶世の美女でも、やがては老いて、病を得て、死んでゆく」「その身体は腐り、亡びる」、その過程を想像して観察し、実相を知る行です。これは食に関しても同じことです。「豪華で美味、贅沢な食事も、食べて消化された後はすべて汚物となって排泄される」、この実相を知るのです。

私たちはどうしても外見に惑わされます。自分にとって都合のよいものには変わってほしくないと願うものです。しかし「仏の教え」では、あらゆるものは変わりゆく哲理を教えています。私たちはその現実をなかなか直視できないので、こだわり、苦しむのです。今から、誰にでもできます。「身不浄観、食不浄観」を常に自らの脇に置いて生きることは、今日的に最も重要な生き方のひとつだと思います。

第192回

ハンセン病

負の歴史を直視し、次世代に継承する

平成29年
9月4日(月)
午前10時30分

第192回生と死のフォーラム
第192回フォーラムの様子
講師:群馬大学社会情報部教授 西村淑子氏

日本のハンセン病隔離政策は、1907年(明治40)年に始まり、軍国主義の台頭とともに徹底されました。戦後、特効薬の普及に伴い隔離の必要はなくなりましたが、国は1996(平成8)年まで、隔離政策を継続しました。国の誤った政策により患者やその家族は筆舌に尽くしがたい苦しみを味わいました。ハンセン病に対する根深い偏見・差別から、今もなお、本名を名のることのできない入所者もすくなくありません。

全国に13ある国立のハンセン病療養所の入所者は1,577人、平均年齢は84.8歳に達しています(平成28年5月1日現在)。群馬県草津町にある栗生楽泉園でも、入所者の減少と高齢化が進んでおり、ハンセン病をめぐる負の遺産をいかに継承するかが大きな課題となっています。

「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」。これは、元ドイツ大統領ワイツゼッカー氏の有名な言葉です。現在、世界中で秩序や価値観が崩れ、社会が不安定になり、危険なナショナリズムが台頭しています。そのような時代だからこそ、二度と過ちを繰り返さないために、負の歴史を直視し、次世代に語り継ぐことが求められていると思います。

2016(平成28)年2月、群馬大学は栗生楽泉園及び同園入所者自治会と包括的事業連携の協定を結びました。群馬大学社会情報学部のハンセン病問題への取組みについて紹介しながら、これからどのように取り組んでいくべきか、地域の皆様と一緒に考えたいと思います。

※本講座は愛と平和の教会の支援を受けた事業であり、宗教活動ではありません。