第131回 へいわ845 令和二年3月25日(水) 新島襄 その9
新島襄は船会社の社長であるハーディに紹介されました。ハーディは襄が徹夜で書いた「脱国の理由書」を読み心を打たれ、この青年との出会いは神の導きと信じ、物心両面で支える決意をしました。襄はハーディが理事を務めるフィリップス・アカデミーに入学しました。その後の歩みは1866年洗礼を受けキリスト者になり、1867年アーモスト大学に進みます。ここでは寮生活を経験しました。襄に対する評価は高く、ルームメイトは彼のことを「清潔そのもの、徹底したクリスチャン、完全な紳士です」と証言しました。その後の襄の大きな活躍で注目されるのは、岩倉使節団に随行し、アメリカとヨーロッパ諸国を視察したことです。襄は通訳兼案内として見事に役目を果たしました。岩倉使節団の視察は1872年(明治5年)からおよそ1年間かけて行われました。使節団の人々は襄に大変助けられました。襄が帰国して家族と再会したのは1874年11月29日のことでした。日本での新しい活躍が始まります。